IMG_0250
2014年11月。翌年のグループ展に出展する予定の作品制作のため沖縄に滞在することになった。初日に宿泊するホテルは決めていた。北中城にある、かつてのヒルトン・オキナワ。北中城に着いた頃には、すっかり日は暮れていた。

その2ヶ月ほど前の9月。ESさんに連れられて荻窪の名曲喫茶に行くと、ずいぶん明るい店内に拍子抜けした。窓が開け放たれている。一週間前にお店を閉じたのだと良い、ESさんが聴いたという沖縄人ピアニストによる「雨だれ」のレコードも含め全部売り払ったのだと知らされた。
IMG_0247
北中城のバス停で降りたのは僕ひとりで、目の前は米軍基地だった。申し訳なさそうに設置された高速道路のバス停から、細い階段がフェンスに沿うように続いている。高速の下の真っ暗なトンネルをくぐり抜けると、反対側は山沿いの小さな集落となっていた。山の上を見上げると、ライトアップされたホテル。なだらかに見えた山の山頂へは獣道のような曲がりくねった小径を進むことになり、11月だというのに汗だくになってしまった。ホテルにたどり着き、チェックインをすませて部屋で一息つく。ヒルトンやその後このホテルを買収した企業が撤退した後は長らく廃墟だったらしい建物は、数年前に地元の企業が買収し、新たなホテルとして開業していた。造りはヒルトン当時から大きく変わっていないように思えた。

汗がひいて、地下にあるバーへと向かう。山の頂上に建っているため、地下と言っても窓の外は開けた風景が広がっていた。エレベーターを降り、団体客で賑わうロビーを左に進むと、ピアノの音が聞こえた。僕でも知っているジャズのスタンダードナンバー。角を曲がると、目の前に巨大な窓があり、その向こうに綺麗な夜景が広がっている。円を描くようにバーへと降りる階段を下り、窓側の席に座ってビールを頼んだ。なんの曲だっただろうか。そう思っているうちに曲が終わり、まばらな拍手。ピアノを弾いていた初老の男性が椅子に座ったまま軽く頭を下げた。
IMG_0246
窓の外の夜景を見下ろす。方角的に、眼下に広がる夜の滑走路みたいな均一な光の列は、米軍の居住区だろうか。ヒルトン時代にここに泊まっていたアメリカ人たちは、その光を見ながら酒を飲んでいたのかと思うと不思議な気分になった。アメリカのホテル、アメリカの地区。その隙間の暗闇が、沖縄。ピアニストが、次の曲を弾き始める。ブラームスの間奏曲Op.118-2だった。大きな窓の外の夜景を見ながら、似たような場所でこの音楽を聴いたことが以前にもあったように思え記憶を辿るけれど、どうしても思い出せない。

曲が終わり二杯目のビールが届けられた頃に思い出した。自分の体験などではなく、ダグラス・サークの映画『天はすべて許し給う』だ。ロック・ハドソンが自ら改築した山小屋風の自宅に招かれたジェーン・ワイマン(庭師のハドソンと中流階級の未亡人ワイマンの恋は、身分不相応と町のひとびとの噂になっている)。彼女は、「なんて大きな窓!」と外の景色を見ながら言う。そこで流れるメロディーは、ブラームスの交響曲一番・第四楽章のホルンの主題をアレンジしたもの。少し酔っ払い、手持ち無沙汰になってウィキペディアのブラームス交響曲一番のページを流し見ていると、ブラームスがクララ・シューマンに宛てた手紙のなかで、この主題に、「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」という歌詞を付けて送っていたということを知った。ずいぶんロマンチックだと思いながら目前の風景に改めて目を向け、自分は今高い山の上にいるのだな、と妙な気持ちになった。今ここから「挨拶」しても、沖縄を通り過ぎてその向こうのアメリカに届くのだろう。




+++
(C) 2012-2015 Futoshi Miyagi