1950年代アメリカ。マッカーシー批判を展開したエドワード・R・マローの番組『See It Now』とともに、マッカーシズムの終焉を決定づけた、陸軍・マッカーシー公聴会。陸軍通信部隊内に共産党への協力者が存在すると主張したマッカーシーと陸軍との間で行われたこの公聴会はテレビ中継され、マッカーシーは国民の支持を急速に失ってゆく。その公聴会において、陸軍顧問弁護士のジョセフ・ウェルチがマッカーシーに言う。「Have you no sense of decency (恥は無いのか)」と。その時マッカーシー側には若き検察官ロイ・コーンがいた。彼は初代FBI長官のジョン・エドガー・フーバーとも親交があり、彼らは、同性愛者と共産党との繋がりを疑い、多くの政府職員(時に異性愛者の職員も)を同性愛=共産党協力者であるとして退職に追い込んでいた。マッカーシズムの赤狩り(Red Scare)と切り離せないこの同性愛者への弾圧は、Lavendar Scareとも呼ばれている。

この台詞はまた、エイズ危機時代のニューヨークに生きる若者たちを描いたテレビ映画『エンジェルス・イン・アメリカ』(監督:マイク・ニコルズ、脚本:トニー・クシュナー、もとは舞台作品)の中、連邦裁判所に勤務するタイピスト、ルイスにより発せられることになる。言われた相手は、クローゼットから出ることのできないゲイの若手書記官ジョー。ルイスは、恋人のプライアーからHIV陽性であることを告白され、動揺して彼のもとを去る。その後、職場で知り合ったジョーと親しくなっていた。ルイスは、弁護士に転身し今なおホモフォビックな言動を繰り返すロイ・コーンとジョーが親交を持っていることを知り、食ってかかる。

『恥は無いのか?この期におよんで、恥は無いのか?』これ、誰が言ったか知ってる?
ジョセフ・ウェルチだよ。陸軍・マッカーシー公聴会においてね。ロイに聞いてみな。教えてくれるから。知ってるはずだ、彼はそこにいたんだから。ロイ・コーンだよ。君まさか、あいつとセックスしたのか?
トニー・クシュナー脚本『エンジェルス・イン・アメリカ』(2003, HBO)
フィクション作品である『エンジェルス・イン・アメリカ』においてアル・パチーノ演じるロイ・コーンはクローゼテッド・ゲイとして描かれている*。恥はないのか…そのセリフが、数十年を超えてフィクションという形で奇妙な反復を見せる。かつて赤狩りと同性愛者弾圧の急先鋒だった、(ゲイだったとされる)コーンやフーヴァーと、その対象となっていた同性愛者たち。そして、エイズ危機の時代の同性愛者たちと、ロイ・コーン(彼はエイズであると診断されながら、最後まで自身の病名を肝臓がんとしていた)。どちらも(陸軍・マッカーシー公聴会での発言は間接的ながら)、同性愛を弾圧するクローゼッテッド・ゲイを批判するという、哀しいねじれを提示する。

そのような、言葉の反復の有効性を考えている。それは、国や言葉を超えても有効なのか。恥はないのか…この言葉は、例えば沖縄と日本とアメリカの関係性の物語にも、もしかしたら有効なのかもしれないし、すべては無関係で繋がりなど無いのかもしれない。それでも、その言葉がもつ時間や場所を飛び越えてしまう小さな可能性を、捨てきれずにいる。その時、その言葉の向かう先には、誰がいるだろう。

*先の陸軍・マッカーシー公聴会において、ウェルチはコーンが同性愛者であるとほのめかす発言をしている。コーンと親しい関係にあったマッカーシーのもう一人の側近、G・デイヴィッド・シャインが徴兵された際、マッカーシーのもとでシャインが活動を継続できるよう陸軍に圧力をかけたと批判されていた時のことだった。コーンが証拠写真を提出したときのこと。

ウェルチ「この証拠写真の出所は、ピクシーでしょうか?」
マッカーシー「すみません、氏は良くご存知なのでしょう、ピクシーが何であるか教えて頂きたいのですが」
ウェルチ「もちろん。ピクシーはフェアリー(=ゲイの隠語)の近親にあたります」
陸軍・マッカーシー公聴会より




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