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「クロリスに」の歌い手は誰なのだろうか。例えばそれがゼピュルスであるならば、とても残酷な物語になってしまう。女性間の感情を歌に託したのだろうか。アーンのセクシュアリティを考えると、それも間違いではない気がするけれど、残酷なことに変わりはない。歌い手が恋したクロリスはゼピュルスにレイプされ、花の女神として生きることになるのだから。クロリス/フローラにまつわるこの曲を、沖縄の風景に重ねてみたい。そして、沖縄の誰かに歌ってもらいたい。そんな風に思い始めた。でも、誰に?例えばアメリカ人が歌えば、そのアメリカ人はゼピュルスになってしまわないか。沖縄人女性が歌うのは、あまりにも残酷すぎる。

そんなことを考えていた頃、ネットであるニュースを目にした。沖縄の米軍基地内のLGBT団体が、数年前からドラッグショーを基地内で開催しているという。アメリカ本土や他の地域の基地でも行われていない試みらしい。それを聞いて、当たり前のことに思い当たる。僕が境界として設定していたフェンスの向こうにもまた、境界は存在し、それを乗り越えようとしているひとびとが存在するのだと。そこには、僕がいままで見ようとしてこなかったひとびとがいる。

たとえば米兵のドラッグクイーンに、「クロリスに」を歌ってもらったらどうだろうか。僕は考えた。そうすれば、クロリスをめぐる暴力の物語に、あらたな観点を導入できるはず。何度も文言を書きかえてやっとメールをさう制して、、僕は沖縄の米軍基地内のLGBT団体に送信した。米軍の組織にコンタクトをとるなんて、初めての経験だった。どこの誰かもわからない作家からのメールなんて、無視されるかもしれない。それでも、可能性を探りたかった。

『Proust in Love』を読んで、長く手を出せなかったプルーストの『失われた時を求めて』を読み始めた。第一篇「スワン家の方へ」において、ブルジョワであるスワンは、高級娼婦であったオデットに恋をする。彼は、オデットにボッティチェリが壁画「モーセの生涯」に描いた女性・チッポラの面影を見て、それから彼女に惹かれ始める。きっかけは、ボッティチェリの絵画。

第二篇「花咲く乙女たちの影に」、オデットと結婚したスワンは、あるとき彼女のためにドレス用の布をオーダーする。それは、ボッティチェリの「プリマヴェーラ」でフローラが着ていたものと同じ柄だった。クロリスからフローラへの転生に、スワンはオデットを重ねていたのかもしれない。

彼はまた、オデットに作曲家ヴァントイユのヴァイオリンとピアノのためのソナタからの一節、ピアノのパートを弾くよう何度もお願いする。それは、かつてアーンにサン=サーンスのソナタを弾くようせがんだプルースト自身の経験が基になっているという。アーンとプルーストにとって、幸せな時期を象徴するサン=サーンスのソナタ。物語のなかで、それがスワンとオデットの関係へと受け継がれてゆく。また、プルーストが『失われた時を求めて』執筆前に書いていた『ジャン・サントゥイユ』において、主人公と恋人の関係を象徴するように(ほとんどスワンとオデットの関係と重なるように)、サン=サーンスのソナタが奏でられる。

『Proust in Love』によれば、1985年の夏、アーンとプルーストは連れ立ってバカンスに出かけている。最初の目的地ディエップで、知人からプルーストはサン=サーンスを紹介されている。その後はブルターニュ沖の離島、ベル=イル=アン=メールにあるサラ・ベルナールの別荘を訪ねる予定だったものの、プルーストの体調が崩れ、予定を変更して本土側の小さな村ベッグ・メイユに滞在する。美しくのどかな海辺の風景に囲まれプルーストの体調も良くなり、そしてその夏、彼は『ジャン・サントゥイユ』の構想を思いついたようだ。

アーンとプルーストはその旅の途中、クロリスについて話していたのだろうか。どちらの作品にも登場する、花の妖精・女神について、ふたりはどのような話したのだろう。もしかしたら、若い恋の記憶が「クロリスに」のメロディーに結びついているかもしれない。プルーストがあの夏『ジャン・サントゥイユ』について考え始め、それが『失われた時を求めて』に繋がっていったように。

彼はそのかわりに、ヴァントゥイユのソナタの小楽節を弾いてくれと頼む。オデットのピアノはひどくまずかったけれども、ある作品のなかで私たちの内に残っている一番美しい光景は、往々にして下手な指先で、音律の狂ったピアノから引き出される調子はずれの音などを超越しているものだ。小楽節はスワンにとって、やはりオデットに対する恋に結びついていた。
プルースト著(鈴木道彦訳)『失われた時を求めて』第一編「スワン家の方へ II」(集英社、1997年)

東京。タワーレコードのクラシック階でCDを適当に手に取ったり棚に戻したりしていると、「A Chloris(クロリスに)」というクロリスの名を冠した歌曲名が目に入り、視聴する。美しいバロック調の歌曲ながら、作曲されたのは20世紀初頭。作曲家の名はレイナルド・アーン。聞き覚えのない名前だったので調べてみると、プルーストの恋人だった男性らしい。とたんに興味を持ち、アーンとプルーストの関係について書かれたウィリアム・C・カーターの『Proust in Love』を読んでみる。

ベネズエラで生まれてパリに渡り、作曲家として名を馳せ華やかな世界に生きていたアーン。彼はサン=サーンスの弟子で、プルーストは度々彼にサン=サーンスのヴァイオリンソナタからの一節を引くよう頼んだという。でも、アーンがひとりで弾けるのはピアノかヴァイオリンのどちらかのパートで、おそらくピアノだったはず。

僕はさっそくサン=サーンスのソナタを聴いてみた。プルーストが好んだのは、第一楽章のどこからしい。でも、僕は第二楽章後半が好きで、そこばかり聴いてしまう。ピアノのパートだけでいいから弾いてくれないか、そんな風にプルーストはせがんだのだろうか。時代は、19世紀の終わり。まだふたりとも若くて、アーンは「クロリスに」を作っていないし、プルーストも『失われた時をもとめて』を発表していない。ふたりの恋は長続きせず、しかし友人として長く交流を続けた。

フランス語だったために聴きててもよくわからなかった「クロリスに」の歌詞は、調べてみると意外と凡庸な恋の詞で、なぜ彼が20世紀初頭にこんな音楽を作ったのか、と疑問に思う。詩は、17世紀の詩人テオフィル・ド・ヴィオーによるものだった。アーンがこの曲を作ったのは『春の祭典』と同時期。第一次大戦も近づいていた。かつて恋したプルーストとの思い出が、激動の時代に入ろうとするヨーロッパに生きるアーンの、心の拠り所となっていたのだろうか。それが、このような懐古調のメロディーを生み出すきっかけになったのか。ふたりの関係に思いを巡らせながら、何度もリピートして「クロリスに」の甘美なメロディーを聴いていた。YouTubeで映像を探してみると、カウンターテナーのジャルスキーが歌っているものが見つかった。

大切なものと引き換えにもたらされる天の喜び
そんな死など 私はいらない

アンブロワジーですらも
あなたの瞳が私にもたらしてくる甘美な空想にはかなわない
テオフィル・ド・ヴィオー詩・レイナルド・アーン作曲『クロリスに』より

 

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ボッティチェリは、ふたつの絵画でゼピュルスを描いている。ひとつめは、『プリマヴェーラ』。画面の右側に、穏やかな風の神に全くふさわしくない真っ青な顔で女性に襲いかかるゼピュルス。襲われる女性はクロリスで、彼女の口からは花が溢れ出そうとしている。そのクロリスの隣で優雅に花柄のドレスをまとっているのがフローラであると言われ、ここではクロリスからフローラへの転身が描かれていることになる。

もうひとつは『プリマヴェーラ』の数年後に描かれた、『ヴィーナスの誕生』。ゼピュルスが誕生したばかりのヴィーナスにそよ風を吹きかけている。表情は、「プリマヴェーラ」のそれよりもずっと穏やかだ。そのゼピュルスに抱きつく女性。諸説あるようだけれども、一説には彼女はクロリスであるとと言われている。二人が抱き合っているということは、フローラであると認識してもよいのだろうか。どこかうつろな目をした彼女は、どのような思いで花をそよ風にのせて、ヴィーナスに送っていたのだろう。オイディウスの詩を読み進めると、フローラの語りは、下記のように終わっていた。

何度も私にゼピュロスは、『おまえの婚資の花をおまえが自分で潰すことはしないでおくれ』と言いましたが、私にしてみれば、その婚資の品はもう安っぽいものでした。

オリーブの花が咲いていたとしますと、いたずらな風が傷つけました。穀物が花を付けていたとしますと、雹(ひょう)が穀物をいためました。葡萄の収穫が見込まれていたとしますと、空が南風とともに真っ暗となり、突然の雨で葉が叩き落されるのでした。

私は非情なまでに怒ることはありませんし、そのときもそのつもりはなかったのです。けれども、気を取り直そうという心持ちにもなれませんでした。
オイディウス著(高橋宏幸訳)『祭暦』(国文社、1994年)

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2014年に那覇で撮った写真が出てきて見返していると、解体中の那覇タワーを写した一枚が見つかった。今は、もうなくなってしまった。ある街の象徴であるタワーが消えてなくなるなど思ってもいなかった。でも、実施に登ったことはなかったし、すっかり様変わりした国際通りを歩いても、懐かしさを覚える場所はほとんどなくなってしまった。三越も、オーパも、国映館もなくなった。

タワーに記された、ゼファーの文字。店名だろうか?ゼファー、西風の神。ギリシャ語だとゼピュルス。iPhoneで調べるとそう出てきた。温厚なそよ風の神らしいけれど、花の妖精クロリスをレイプしたという。そしてその罪を贖うために、ゼピュルスはクロリスを花の女神フローラへと格上げし、花の園に住まわせる。フローラはそこで、幾つもの花を生み出してゆく。彼女はそれで本当に幸せなのだろうか?

その神話を読んで、沖縄の作家・豊川善一が1956年に発表した小説『サーチライト』を思い出す。沖縄の米軍基地のフェンスのそばで男性米兵にレイプされた沖縄人の少年が、屈辱に涙しながらも、次第に米兵に囲われてゆき、綺麗な服を着て化粧をして、彼の相手をする。そのような内容で、発表後すぐに発禁処分となる。米軍統治下の時代だった。安直な結びつけだな、と急いでその考えを振り払う。

東京に戻って、ゼピュルスとフローラについて調べると、オイディウスの詩が見つかった。そこには、フローラがみずからについて語る箇所がある。

私はいつも春を謳歌しています。いつでも一年でもっとも輝かしい季節、木々には葉が繁り、大地はいつも牧草がおおいます。そして野にはわたしの婚資である実り豊かな庭があります。

わたしの夫はこの庭を優雅な花で満たし、『女神よ、花のことはお前にすべて任せよう』と言ってくれました。

何度も私は、いったい何色あるのかと、並んだ花を数えたいと思いましたが、できませんでした。数が及ばないほどにたくさんだったのです。
オイディウス著(高橋宏幸訳)『祭暦』(国文社、1994年)

私はおちこぼれのまま終わることが、ずっと怖かった。君たちと同じような思いを、私もずっと抱いていたかもしれない…。いつも蹂躙されてばかり、と。だけど、今ではどちらが敗者で、どちらが勝者なのか、私にはわからない。

別に世界を制したいわけじゃない。私はすっかり折り合いをつけたよ。自分の野望と、自分の限界と…。
ダニエル・マン監督、『八月十五夜の茶屋』(MGM、1956年公開)

数人のインタビューやいくつかのリサーチを終えたあと、それらとESさんから教えて貰った「雨だれ」の物語を交えて、物語を作ってみることにした。そしてそのなかで、『Ocean View Resort』でも参照していた映画『八月十五夜の茶屋』を再び引用する。終戦直後の沖縄で交わされた兵士の言葉は、理想主義的で美しいものだ。けれども、それがベトナム戦争時代の沖縄で語られた時、そこに絶望が現れる。その時代にその言葉を語った兵士はベトナムに行き、ぼろぼろになってしまうかもしれない。そして、アメリカがベトナムで行ったことを、その後の歴史を知っているから。また、『Ocean View Resort』と近い、男性間のロマンティックかつ刹那的な出会いの物語にしようと考えた。

1940年代中頃の物語(『Ocean View Resort』と『八月十五夜の茶屋』)を、1970年代を舞台にして繰り返すこと。時代を変えて物語を繰り返せば、当然その物語を取り巻く文脈も変わり、物語のありかたも変化する。そして、新たに見えてくるものごとがあるはず。

それは例えば、ダグラス・サークの『天はすべて許し給う』を、1970年代のドイツを舞台に、初老のドイツ人女性と若いモロッコ移民の男性とのメロドラマに置き換えたR・W・ファスビンダーの『不安と魂』、そしてさらに2000年代に発表され、『天はすべて許し給う』と同じく1950年代アメリカを舞台に、主人公の夫をゲイに、恋に落ちる庭師を黒人男性に置き換えたトッド・ヘインズの『エデンより彼方に』が行った語り直しのように、その時代(舞台設定の年代と、映画が発表された年代)に存在する問題に言及できるのではないだろうか。そんな風に考えた。

メロドラマの語り直しについての映像作品。それならば、音楽はバッハのシャコンヌにしようと考えた。後世のロマン派の音楽家たちがそれぞれのやり方でシャコンヌを演じ直したように、物語は繰り返され、ある時代についての、さまざまなことを明らかにしてゆくはず。

アメリカで退役軍人のインタビューをした後、ベトナム戦争時代に沖縄で青春時代を過ごした沖縄人男性に会う機会を得た。根っからの音楽好きらしい彼は、その時代を「古き良き時代」と冗談のように言って笑った。慰問演奏で、有名なミュージシャンが多く沖縄を訪れていたこともあり、たくさんのポップミュージックやロックをフェンス越しに聞き、米軍のクラブに潜り込んだ。もちろん、残酷な場面にもいろいろ遭遇して、アメリカ統治時代の不条理を体験した。70年代。黒人への差別や、銃を突きつけられて連行される軍人の姿も目にしていた。

インタビューのためにカメラをセットして、忘れ物を取りにその場を離れたとき偶然カメラが録画状態になっていて、画面に入り込んできた彼がピアノを弾き始める。あわててカメラのもとに戻り、マイクの電源を入れた。聞き直したけど、途中までノイズ混じりの録音だった。意図した録音ではないので使わないほうがいいかなと思ったけれど、同時にそれは古い音源を聴いてるような、とても美しいものにも感じた。

夜は集まった数人で酒を飲みながら、満月を眺めていた。こういう沖縄の居場所もあるのだと満足感にひとり密やかに浸りながら。

ベトナム戦争時代の沖縄についての作品を作りたいと思い、アメリカに渡ってある退役軍人にインタビューを行った。サンフランシスコ郊外にあるヘイワードという町に、ゲイのベトナム退役軍人がバーを切り盛りしている。

彼はベトナムから帰国後、男性の恋人ができて奥さんと別れ、ドラッグやアルコール漬けの生活を送るようになる。そんななかでゲイバーを始め、ゲイ解放運動に参加し、その活動を通してどうにか立ち直って行く。当時はハーヴェイ・ミルクが居た時代で、彼らと共闘していたこともあったらしい。沖縄に滞在は?と聞くと、ベトナムに渡る前にほんの少しいたけれど、ほとんど記憶にない、という。少し前から、ゲイバーという名称を自身の店に使うことをやめて、セクシャリティーやジェンダーの境なく誰でも来れるように、ただの「バー」にしたんだ、と彼が嬉しそうに言っていた。子供はいたのかな、とふと考えが浮かんだけれど、その質問だけはなぜか出来ずに、僕はインタビューを終えて小さな町を後にした。




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(C) 2012-2015 Futoshi Miyagi