アメリカに住んでいた時に読んだケルアックの「On The Road」は特に心に残っている訳ではないけど最後の数行、主人公がニュージャージーの地平線に沈む太陽を見ながらその先に広がるアメリカの土地と親友ディーン・モリアーティについて物思いに耽るところは好きだった。読みながら僕の頭の中に浮かんだ風景は、ふるさとのもくまおうの森を抜けた先にある誰もいない砂浜から見る海と水平線、遠くにうっすらと見える島影。もくまおうの向こうではアイオワの子供たちと同じ様に島の子供たちが泣いていたかもしれない。離れたくて仕方がなかった小さな島の海の向こう、どの方向かはわからないけど向こうにある本島や内地やアメリカへのあこがれ。思い出したのはそんなこと。ときどき小説はそういうことをする。

2011年11月、僕は島に帰ってもくまおうの森を抜けた先の海辺で「On The Road」を声に出して読んだ。浜には小さな青いテントがひとつあって、物音ひとつたてないから誰もいない様だった。アメリカを離れて時間がたち、英単語の発音がうまくいかなくてところどころつっかえる。このまま忘れてしまうのだろうか。風が冷たかった。読んでみると目の前の海は物語の世界観からはほど遠く、曇っていて水平線上には向こう側にあるはずの島の気配すらなくてがっかりして、そして僕は大きな思い違いをしていた。主人公が沈む夕日をみながらディーン・モリアーティを思い泣いてしまうと記憶していたけど彼は彼を思い泣いてはいなかった。泣いていた(泣きそうになっていた)のはローラという女性だった。

島からはとても遠いアメリカにそれなりに長く住んでいたけど、もう既に名前が思い出せない「On The Road」の主人公ほど僕はアメリカを旅していない。それでも好きな場所もたくさん見つけたけど。ずいぶん遠くまで来てしまった。そんなことを無理に思い出しながら水平線を眺めた。この海の向こうは台湾だろうか、そんな風に考えていたら物音がして振り向くと、無人だと思っていた小さなテントから背の高いアメリカ人のバックパッカーがトランクスと白いTシャツだけの格好であらわれた。寒くないのかな。日が沈みかけていた。僕は気恥ずかしくなってその場を去った。




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