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丸いお皿の対極に置かれた、二本のフォーク。チョコレートの黒とラズベリーの赤がいくつも、二本のフォークそれぞれの方向に跡を引いている。アンブロワジーは、あっという間になくなってしまった。雨だれといえば、とESさんが思い出したように言う。沖縄出身だよね?そうです、と答えると、ある沖縄出身の不思議なピアニストについて、ESさんは話しはじめた。

荻窪に住んでいるんだけど、このあいだ近所の古い名曲喫茶に入ると、不思議なショパンの演奏が流れていて(ミニオンでしょうか?いや、もっとこじんまりしたところ)。店主に聞いてみると、古ぼけたレコードを持ってきてくれた。ピアニストは沖縄人らしく、数年前に近所に住む沖縄出身者から寄贈されたもので、店主もそのピアニストについて詳しくは知らない。荻窪近辺、沖縄の文化人が多く住んでいたから、少部数で製作されたものを持っていたのかも知れない(たしか伊波普猷とかも住んでいたはず、と僕は思い出す)。カバーには、鍵盤に向かうピアニストを横から捉えたモノクロームの写真。ありきたり、といえばそれまでだった。裏返すと、大きな窓のあるバー、ピアニストと軍服を着たアメリカ人が窓際のテーブルに並んで座ってカメラのほうを見ている。窓の外はまだ明るい。アメリカ人の手元には、バイオリン。ピアニストは楽譜を手に持っている。小柄で彫りの深い顔をしたピアニストと、小さなテーブルを挟んだ向かい側にいるアメリカ人。緩やかに開いた脚がテーブルカバーからスラリと突き出していて、刈り込まれた髪の毛の色は明るい。窓の向こうは雨のようで、もしかしたら嵐だったのかもしれない。窓を斜めに走る雨の線が見える。その不思議な写真を眺めていたら、前奏曲は第15番「雨だれ」に変わる。カバー裏面、写真の下部にはペンで小さく「At the Hilton Okinawa」と書かれていた。占領下の沖縄にヒルトンがあることが、すごく理不尽なことに思えて、その写真は強く印象に残っている。「雨だれ」とともに。

ESさんの話を聞いて僕は、沖縄にヒルトンが存在していたことを初めて知った。iPhoneで検索をする。綺麗なふたつの弧が交わるようなホテル、丘の上。海を見渡す白亜のホテル。基地の外に建設されていたものの、宿泊客の大半はアメリカ人だったようだ。しかし、それ以上詳しい情報はでてこない。返還後数年経って廃業し、長く廃墟になっていたものが、最近別のホテルとなって再開したようだが、それ以上の情報はない。北中城…そうだ。兄が免許取り立てだった頃、兄と兄の友人と僕の三人で、北中城の丘の上に建つ廃墟ホテルへ肝試しに行ったことを思い出した。僕はまだ高校生だった。あれは、ヒルトンだったのだろうか?暗闇のなか、ぼんやりと灰色に浮かび上がるコンクリートのホテルの姿を記憶の中に探る。いや、あのホテルは灰色だった。そうだとしたら、北中城の丘にはふたつ以上もホテルの廃墟があったのだろうか。兄がライトを消し、三人でしばらく様子を伺う。エンジンを切ると、完全な静寂。たしかこの山の向こう側には、中城城跡がある。沖縄戦が始まって比較的早くに米軍に占拠された土地。きっとそこからは、沖縄の平野が広く見渡せたのだろう。そんなことを思いながら僕は、二人の肩が緩やかに上下するさまを見つめている。突然後ろから強い光が差し込み、僕たち三人は同時に鋭い声をあげて肩を震わせる。白いトヨタが僕たちの車の横を走り、ホテルのエントランスのすぐ側につける。ナンバープレートは、Yから始まっていた。車からは数人の男たちが飛び出し、笑い声をあげながらホテルの中に入っていった。興ざめしたのか兄はエンジンを入れて、帰ろう、と言った。この島にはもう幽霊なんていないね、と。

会計をお願いします、とのESさんの声に引き戻される。ピアニストの名前は?僕は聞いてみた。それが忘れてしまって、とESさんが笑った。今度一緒に行こう。「雨だれ」を聴きに。




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(C) 2012-2015 Futoshi Miyagi