多くの若い精神のなかには、自分では土台の石ひとつ運ばなかった高所にたっているくせに、その恩を忘れて、さらに新たな境地を開くことを省みないものも多いが、これは近来のあらゆる世代のおかしている狭量の仕業だ。

しかもどうやら、今後も当分この様子が続きそうに思われる。僕もその若者の一人にちがいないが、この点ではたとえ相手が最愛のフロレスタンであろうとも、甘んじて手を握りあう気になれない。

フロレスタン−もし、君がどこかの大王だったとして、たまたま一戦を失ったために、臣下の者どもから紫の衣を剥ぎとられるような目にあったら、憤慨して、恩知らずども!と言わないだろうか。−

オイゼビウス

これはオイゼビウスらしい、いかにもお美しいお心掛けだが、笑止千万、片腹痛い。いかに君たちが躍起となって君たちの時計の針を戻そうとも、これから先も相変わらず太陽はのぼるのだ。

いかにも、僕は、あらゆる現象にそれぞれの処を得せしめるという、君の心がまえを高く買ってはいるが、結局君は偽装ロマン主義者だと睨んでいるんだ−そのほかの名は御遠慮申そう。下らぬ名前をつけても、いずれ時が洗い落すだろうから。

フロレスタン

シューマン著(吉田秀和訳)『音楽と音楽家』




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