アメリカ映画『The Teahouse of the August Moon』(邦題:八月十五夜の茶屋)は、1956年に公開された。映画の中で作られる八月十五夜の茶屋は、那覇の遊郭街・辻にあった料亭「松乃下」がモデルになっており、京マチ子演じる芸者のロータス・ブロッサムは、そこで働く芸者をモチーフにしたと言われている。映画の後半、ロータス・ブロッサムはアメリカ軍人、キャプテン・フィズビーに、私をアメリカに連れて行って、と言うけれど、彼はそれを優しく断り、静かにこう言う。

And on the other side of the world in the autumn of my life
When an August moon rises in the east
I’ll remember what was beautiful
and what I was wise enough to leave beautiful.

この世界の反対側で、僕の人生が秋色に変わるころ
東の空に、八月の月がのぼるでしょう
忘れないよ、その美しさ、
その美しさを、そのままに残し、去った僕の選択を
ダニエル・マン監督、『八月十五夜の茶屋』(MGM、1956年公開)

その言葉は、その場で二人の言葉の橋渡しをしていた沖縄人通訳サキニ(マーロン・ブランド)によって、ロータス・ブロッサムに伝えられる。サキニはその美しい言葉をなぜか完全に訳さずに、ただ、「忘れないよ」とロータス・ブロッサムに伝える。詩のような言葉は、「通訳という境界的存在」(新城郁夫『沖縄を聞く』より)であるサキニの心にとどめられることになる。ロータス・ブロッサムが去ったあと、男ふたり、サキニはフィズビーに言う、僕を代わりに連れてって。フィズビーは笑い、静かに首をふる、だめだよ、と。

このアメリカ映画の中で発せられたアメリカ人大尉の思慮深い言葉に、僕は驚いた。1956年、沖縄では何が起きていたのだろう。アメリカ人たちは、当時、全てを美しいままに残して、去ってゆこうと考えていたのだろうか。




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